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ユニチカ問題について答えます(鈴木みさ子議員)

「ユニチカ問題、正しく知ろう」という現市長陣営のビラが配られています。地元新聞でも「食い違うユニチカ問題」として、双方の主張を対比し、この問題が大きな争点の一つであることを紹介しています。ビラの内容は矛盾だらけで一方的なものです。そこで、これまで明らかになっている市の記録や、裁判記録で検証してみました。

「ユニチカはもともと市の財産ではない」について

●事実経過は?

ユニチカ名義になったのは戦後の特殊事情によるもの

確かに登記簿はユニチカ(大日本紡績)で、昭和29年3月30日付で登記がされています。

もともとこの土地は陸軍の演習地であり、戦後間もないころ戦災罹災者、引揚者など37戸が開拓農家として入植。苦労して開墾し生活基盤がようやくできたところへ、立ち退きという重い決断を迫られ、土地買収は困難を極めました。(「豊橋市100年史」より)

契約書が昭和26年4月に交わされ、ユニチカが昭和26年10月に操業を開始したものの、国の払い下げ価格がなかなか決まらず、敷地の「字名・地名」を決めるのにも地方自治法上の手続きが必要であり、地名の登記がされたのが28年12月25日、合わせて同日に入植者の土地が農林省に強制譲渡されています。

こうした土地取得の困難さや、事務手続きの煩雑さのため、時間が経過し、操業後2年以上も経過していたユニチカに国から直接登記されました。ですから、豊橋市の名前は登記簿謄本には出てきません。

だから、豊橋市には返還請求権はないの?

そんなことはありません。市は、ユニチカに土地を「無償提供」しているのです。契約書第3条には「その払下げに要する費用は豊橋市の負担とする」とあり、土地代1,132万8,162円、 農作物の補償費18万円、鉄道引き込み線移転補償料93万円など、約1,500万円が豊橋市の負担とされました。

当時の豊橋市議会「会議要綱」には、「農林省の決定の遅れにより、豊橋市がこのお金を払うことができず、 いったんユニチカ側に立て替え払いをしてもらう」旨の記載があります。

原告側は、豊橋市の歳出歳入決算書から、「昭和29年度、30年度、32年度にそれぞれ「日紡敷地買上交付金」として、ユニチカ側に3回にわたって土地購入代金を返済していることを調べ上げました。その合計金額は1,132万8,162円。1円単位まで一致しています。現在の豊橋市の年間予算に換算すると数十億円という膨大な金額をつぎ込んでいることがわかります。まさに「豊橋市の財産」といえます。

市の財産でないのに「返してもらう」という契約内容を争うのは矛盾している

契約書第12条「使用計画を放棄した部分は市に返還する」

疑義事項協議書 第12条・「ユニチカは将来敷地内で使用する計画を放棄した部分はこれを豊橋市に返還する。・「将来」とは、ある一定の期限を有するものではなく、何ら期限の制約を受けるものではない」という契約については市も認めています。

このことからも、市側が敷地を豊橋市の土地として、使わなくなったら返還義務があると認識していたことは明らかです。

だからこそ、市側は「一部返還論」を持ち出して「全部返す義務があった」とする第1審判決を不服として争ったのです。このことについて市民からは「理解ができない」という声が噴出しました。

「行政は損・得だけで動いてはいけない」について

●当然のことです。

第1審で「豊橋市はユニチカに対し63億円請求せよ」という判決が出たにもかかわらず、控訴したことに対し、「市長が市の財産を減らす結論を求めて争った裁判として豊橋市の歴史に刻まれる」と地元紙に書かれました。「損・得」などのレベルではなく、「市に損害を与えた」のです。このことへの認識がないことを表しています。

「損・得」で言うのなら、自らは、何ら得にならないのに、透明な市政運営のために手弁当で訴訟まで起こして26億円を取り戻した市民や、弁護団の行動に思いを寄せ、感謝するのが筋ではないでしょうか。

「市長が独断でどうこうできるものじゃない」について

●責任の自覚は?

「市長は市の担当部局の中で引き継がれてきた考え方と、専門家の意見も聞きながら、行政の行なうべき業務を市の最高責任者として指示している」と書かれています。

しかし、前任の市長の見解は「別の会社が来たら、返してもらう」と議会で答弁しています。 佐原市長は、平成26年10月にユニチカから撤退の申し出があった時、議会にも諮らず、市民にも一切明らかにすることなく、庁内に設置した「ユニチカ敷地対策会議」で、市の幹部だけで結論を出しました。明らかにしたのは、1年後の9月28日の売却直前で、議員へのFAXによるものです。そして、いまだにその対策会議の内容の詳細は闇の中です。

ユニチカを誘致した当時の経過は全て議会に明らかにされ、豊橋の経済界を挙げて後押しもあり、市民の期待も大きかったのですが、同時にユニチカのその後の衰退の中で、「撤退の際の返還」は、周辺の住民たちも、周知の事実です。

この経過を踏まえても、「市長の独断」でことを進めてきたことは否定しようがありません。

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